■食事より好き…30歳で銀行辞め
 マジックとの出合いは十歳の時だ。いまでこそネタを売る手品の店は多いが、当時、関西では「京都の百貨店内に一店あっただけ。小さなガラスケースの前を通りかかると、意味は分からんけど『これや』とひらめいた」。それ以来、年に数回、自宅から電車を二時間以上乗り継ぎ百貨店に行った。午前十時の開店から夕方まで、ケースの前を離れなかった。
 「祖父から小遣いをもらい少しずつネタを買い集めた。三度の食事よりマジックの練習が好きで、時間を忘れたものです」
 高校を卒業して銀行に就職した。横木さんの腕前はすぐに広まり、顧客回りをする上司や同僚から度々呼び出された。「マジックを披露すると、お客さんは喜んで預金を追加してくれた。しかし、その獲得実績は全部ほかの行員らのもの。私は顧客探しより、次はどんなネタをやるか考えていた」とか。
 プロのマジシャンになる夢を捨て切れず、銀行員を続けながら二十六歳で関西マジック界の大御所、堀ジョージさんの門下生に。人生の節目と決めていた三十歳で「商売をする」という理由で銀行を辞めた。「だって、マジシャンになるなんて言えなかった」
 プロになり、スライハンドイリュージョンを交ぜた芸で「仕事は次々に入ってきた」と振り返る。
 「国会マジック」は昨年十月、吉本興業の台本作家と考案した。
 その後も改良を重ねてきたが「お笑いとの組み合わせに、むちゃくちゃ抵抗があった。マジック好きな人が見たら怒るでしょう。思い切りできないマジックの評価は低い。お客さんのうけも、お笑いの方へ持って行かれる」と、当初の苦悩を語る。

■政権の長期化を世界で一番願う
 何度か上演しているうちに「所属は吉本。マジック好きな人より、お笑い好きな人が多いんやからね、おいしいところはお笑いに差し上げようと。(自分の顔が似ている)小泉首相がいなんだら、国会マジックショーはできないんだから」と思い始めた。
ある時、落語家の桂三枝さんに迷いを相談した。三枝さんは「マジシャンは全国に何百人いるか分からんけども、小泉さんのネタや国会マジックができるんは、あんたしかいてへん。日本に一人だけや」と助言してくれた。これで吹っ切れた。横木さんは「今が旬のマジック。お客さんも今しか見られへんのや」。
 今では舞台で「もし小泉政権が倒れたら私も消えます。本音言うと、いつこけるか分からんからヒヤヒヤです」と余裕をもって観客に話せるようになった。場内はいつも大爆笑だ。
 そこで「小泉さんの長期政権を世界で一番願っているのは横木さんですか?」と意地悪な質問をすると、横木さんは「そりゃそうですわね」と笑いながらも「小泉首相が退陣すれば、また純粋なマジック、自分の場所へ戻れる。それもいいかな」と懐かしむような目をする。
 「支持率低迷がよくない。中途半端でしょ。人気があるのか、倒れるのか、はっきりしてほしい」と注文する。
 ただ、横木さんは、小声で「小泉首相や自民党に秘策があるんです」という。「小泉首相は忙しくて山奥へ行けない。私は暇だからどんな山奥へも行ける。小泉首相が行けない所や行きたくない所を、私がカバーして回るんです。そうすれば支持率回復は間違いない」と、もはや「支持率回復」マジックに自信たっぷりなのだ。
 最後に、無数にあるネタの中で「骨太の方針」マジックを紹介する。「骨を太くするにはカルシウム、カルシウムといえば牛乳、この筒に牛乳を入れ…」と脱線して「小泉マジックというより、こじつけマジックですね」。

(メモ)
 何といっても、小泉さんの最大のマジックは、「高支持率」というイリュージョンだった。でも、その後は改革マジックで舞台裏がばれたり、女性アシスタントのスカートを踏んじゃったりと散々。よっぽど横木さんと入れ替わりマジックをした方が…。(透)
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